2023年7月6日木曜日

近況報告:R&R

先日、Dから9ヶ月の間査読結果が返ってこないということを嘆いていたが、9ヶ月半でようやくR&Rがきた。ちなみにR&RというのはRevise and Resubmitの略で、「レビュワーの要求に従って修正したら論文が掲載されるかもしれない」という状態である。今回は修正に6ヶ月の期間をいただいた。

R&Rというと何かネガティブなことみたいに考える方もいるようであるが、かなり喜ぶべきことで、例えば、米国の社会学の就活戦線ではDからR&Rをもらっていること自体をアピールに使う人が多い。35歳になるまでに載せたいと思っているトップジャーナルで、これまでのトライではここはリジェクトばかりだったのでR&Rになったことはとても感慨深い。期待が上がった分、どうなるかとても不安ではあるが、焦らずにできることをしようと思う。

勢いにのって(?)、塩漬けにしてあったもう一つの論文もSFに投稿した。とりあえずステータスがAwaiting Reviewer Scoresに変わったので、デスクリジェクトにはならなかったようである。こちらが返却されるまでにDの方の再投稿をすることが当面の目標である。

ロサンゼルス滞在は今日が最終日であと5時間後に飛行機で東京に向かう。

2023年7月1日土曜日

Summer Institute in Computational Social Science (SICSS) @UCLAに関するメモ

 3週間の予定でロサンゼルスに滞在中である。目的はSummer Institute in Computational Social Science (SICSS) という計算社会科学のサマープログラム(最初の2週間)、UCLAの図書館のアーカイブでの60年前の日系移民関係の調査の原票の閲覧と関連資料の収集(最後の1週間)である。昨日で2週間のサマープログラムの方が終了し、今日は休日にしてホテルにいる。

UCLAのキャンパス

SICSSは毎年、夏季に世界中(東京を含む)で開催されている主に社会学、政治学、統計学、計算機科学の研究者が中心となって組織している計算社会科学の方法論に関するサマープログラムであり、講義、ワークショップ、グループワークがその内容である。2017年に社会学のビッグネームのChris Bail(デューク大学社会学部教授)とMatthew Salganik(プリンストン大学社会学部教授)が中心となって始めた。日本の社会学系の若手研究者の方もSICSSに興味がある人は多いと思うので、簡単にホームページからは分かりにくい実情や感想をメモしておく。

1)ロケーションによって内容に一定の違いがある

SICSSは毎年、夏季に世界中(東京を含む)で開催されている。かつてはレクチャーを統一していたようだが(オンラインでレクチャーが見れる)、現在は各ロケーションの主催者によって、内容に違いが出てくるようだ。

私が参加したUCLAでのSICSSはJennie Brand(UCLAの社会学・統計学教授)が代表で、UCLAの人口学センター(California Center for Population Research)で開催されており、講師陣もUCLAの社会学部、統計学部の関係者が多かった。

よって、講義やワークショップの内容も観察データ(observational data)を用いた因果推論や因果効果の異質性の話が中心で、通常の社会学のコースワークでも扱うような内容(例:傾向スコア)から、まだあまり流行っていないDouble Machine Learning(一種の機械学習)を使った代替アプローチ等の内容が中心的だった。実験、ネットワーク分析、テキスト分析、自然言語処理も講義やワークショップに組み込まれていたが、そこまで時間は割かれなかった。おそらく、例えば、政治学の先生が主催しているような大学では、実験が多くなったりするのではないかと想像する。

教科書はMatthew SalganikのBit by Bit: Social Research in the Digital Ageビット・バイ・ビット--デジタル社会調査入門』というタイトルで邦訳が出ている)が指定されており、参加前までに読んでおくように指示されたが、これに基づいて授業をするということはなかった。ワークショップ等で使う言語はRであるという縛りはあるので、Rには慣れておいた方がいいが、普段Rを使わない人も、事前にビデオで勉強することができる。

2)参加者構成は公式HPからイメージされるよりも若かった

公式HPでは対象はAdvanced Ph.D students、Postdoc、7年目までのAssistant Professor(日本でいうテニュアトラック助教や専任講師)ということなっており、大多数がPh.D. Candidate以上(Ph.D.課程の4-6年目のことが多い)なのだが、博士1-3年目の方などもいたので、興味があればとりあえず博士1年目の方などでも応募してみるのもいいのではないだろうかと思った。Assistant Professorは1-3年目の人が多かった。

分野は半数程度が社会学・人口学、その他半分が統計学、心理学、計算機科学、政治学等であった。ただ、事前知識はバラバラで、エスノグラフィーをメインに使って研究をしており、統計ソフトを使った分析に慣れていないというような人もいた。

3)参加費は無料、選抜は緩めか?

2023年のUCLA主催のものに関しては参加費は無料であった。通常、こうしたサマープログラムは高額のことが多いので、これはとても良いことだと思う。ただ、参加にあたっての交通費や宿泊費は自分で捻出する必要があった。

参加にあたってはCVと参加希望理由書を提出しての選抜があるが、そこまで厳しい選抜ではないと思われ、基本、エントリーすれば参加できると思う。ただ、参加者の所属大学やバックグラウンドを多様にすることを重視するとは思うので、属性によって選抜されやすくなったり、されにくくなったりすることもあると思う。また、ロケーションや時期によっては厳しい選抜がある場合もあるのかもしれない。

4)  感想

2週間参加して「とても良かった」と思っている。内容は半分程度は既知の内容だったが、機械学習を使った因果推論やテキスト分析は、あまり触れたことがなく、新しい内容で、自分の研究にも応用できるのではないかと思った部分もあった。ただ、現時点では、他人の論文を読んだときに何をしているかがよりよく理解できるようになったという感じである。

またUCLA社会学部・人口学センター関係者には自分と研究関心が近い人が多く、UCLAの関係者と2週間を通して知り合って、研究に関する交流ができたことも大きな成果になった。

2023年6月14日水曜日

Ph.D.取得&Phi Beta Kappa選出

5月28日(日)に大学院修了式があり、Philosophiae Doctor(Ph.D.=日本でいうところの博士号)が授与され、ようやく正式に名前にDr.がつけられるようになった。本当ならプロビデンスまで飛んで、ブラウンのスクールカラー(文字通り茶色)のガウンをきて、卒業行進行事に参加したかったが、既に日本に戻っており、そのためだけに渡航するお金もないので、インターネットで日本から博士修了式を試聴していた。


博論審査の時に撮った社会学部の写真


Ph.D.取得にあたり、Phi Beta Kappa(ファイ・ベータ・カッパ)に選出された。Phi Beta Kappaというのはアメリカの終身制のhonor society(栄誉団体)で、四年制大学の学業優秀者に会員としての栄誉を与えて表彰する団体であり、18世紀半ばから存続しているらしい。

卒業式の前に、各大学の成績上位5〜10%くらいの学生が招待される。アメリカの研究者の履歴書(CV)では、学位欄で、"B.A., in History, Amherst College, Summa Cum Laude, Phi Beta Kappa"のような形でSumma Cum Laudeなどの成績に関するラテン語の栄誉称号(Latin Honor)の後に続けて言及されることが多く、自分もよく目にはしていた。

ブラウン大学からは、2023年5月の学位取得者(学士号から博士号まで全てを含む)2000名程度のうち、165名が推挙されたらしいのだが、どういう風の吹き回しか、大学院生として選ばれたのは私1人だけで、その珍しさから社会学部ニュースで取り上げられた。不思議に思い詳しく調べてみたところ、基本的にはPhi Beta Kappaへの選出は学部生に限定されているが、一部の大学では、例外的に大学院生をPhi Beta Kappaにする制度を設けているところがあるとのことだった。学部長の先生からは、大学院担当責任教授の強い推薦で、社会学部として正式に私の名前をPhi Beta Kappaのブラウン支部に送付したという経緯だけ後から教えていただいた。ただ、様々な学部から推薦された院生のうち、なぜ私だけが164人の学部生に混ざって選ばれたのかという謎は残ることになった。

なお、Ph.D.取得は研究者としての就職に際して必須だが、Phi Beta KappaにはCVのAwards and Honorsの一行以上のメリットはなく、特筆すべきことではない。ただ、「極東」からきた留学生の私をPh.D.取得にあたりアメリカの歴史ある名誉団体に推薦してくださった社会学部の先生方の気持ちには感謝しており、ブログに記録として残しておくことにする。


2023年5月9日火曜日

論文の査読結果が9ヶ月経っても返ってこない...

今日は標題の件について少し書きたい。昨年の8月初頭に社会学/人口学分野の某トップジャーナルに投稿した論文、投稿してとうとう9ヶ月が経ったことに気づいた。長くかかっているのは私だけでははないようで、自分の友人(の友人複数)や、ネットの掲示板、Twitter等さまざまなところで6ヶ月以上経ってデスクリジェクトされた話や、10ヶ月経っても最初の結果が返ってこない話などを聞いた。昨年春に編集委員長が変わるまではデスクリジェクトに1−10日、査読に回っても3ヶ月程度で一回目の査読が返ってきていたので、とても大きな変化である。

なお、私の論文は、忘れられているわけではないようである。5ヶ月目に問い合わせたところ、「あと2−3ヶ月待ってくれ」と言われ、7ヶ月目に問い合わせをしたところ、「3つの査読レポートのうち、1つは返却され、あと2つを待っている」という返事だったので、デスクリジェクトは免れ、査読には回っているらしい。

通常、社会学/人口学分野のジャーナルは、デスクリジェクトの判断は投稿から(遅くとも)2ヶ月以内、(査読に回った場合の)第一回査読結果通知は5ヶ月以内、修正を含めた第N回目の最終査読結果(N≦4)が18ヶ月後くらいには出る(というのが私の理解だ。)今回の某ジャーナルは、私の論文も含め、一部で著しく審査が遅れているということになるだろう。

業界のトップ誌はその学術的な意義に加え、投稿している研究者の就職、テニュア、昇進、異動等の様々なキャリアプランを左右するため、編集委員会の責任は大きい気がしている。

もちろん、日本の学会誌のように編集委員長や編集委員になることにそこまで大きなメリットやインセンティブがない場合には、あまり強く非難はできない(むしろ忙しい中編集を引き受けてくださっている側面が強いので感謝をしなければならないだろう。)しかし、今回のような国際的に当該学問全体を代表するジャーナルの場合、(公募で選ばれる)編集委員長になることは非常に名誉のあることであり、(仕事量に対して額は見合わないかもしれないが)給料も支払われているのではないかと予想する。また、編集委員長を経験した場合、その後のキャリア(例:別の大学へ移籍、「冠教授」へランクアップ等)にも強くプラスになるのではないかと思う。

私のような若手にはわからないさまざまな事情があるのだろうし、裏の事情を詳しく知った場合には同情するのだとは思うが、駆け出し若手研究者の身からすると、「もう少しなんとかできないものか」と思ってしまうのも許してもらいたいところではある。


2023年4月29日土曜日

帰国報告: 怒涛の2ヶ月

3月末に日本に帰国し、5年半にわたるアメリカ生活に終止符をうった。2月3日に博論を提出してからのアメリカでの最後の1ヶ月は、博士課程修了にあたる事務手続き、帰国にあたる各種手続きや調整、アメリカの賃貸アパートの解約、荷物の郵送手続きがあり、帰国後の数週間も、首都圏でairbnbとホテルを転々としながら、東京と神奈川でのアパートの内見を続けていた。

紆余曲折あったのだが(*)、なんとか手頃な価格の賃貸物件を見つけることに成功し、入居し、住民票を移し、家具も全て揃え、今日、2ヶ月ぶりに一息をついてブログを書いているところである。

4月からは日本学術振興会特別研究員PD(いわゆる「ポスドク」)として研究を再開している。学振PDは採用予定の4月1日までに博士号が授与されていることが条件だが、「海外の大学」で博士号を取得した人に関する特別規定があり、学位が5月に発行されることの証明文書をブラウンに発行してもらうことで採用を認めていただくことができた。

北米に残る選択肢もあり、研究者としてのキャリアとしてはそちらも魅力的だったのだが、妻が4月から東京に戻らなければならないことを鑑み、日本に戻ることにした。幸い、首都圏の大学での専任の話が進んでおり、本日、任用(の予定)を通知する公印入りの書類も正式に届き、ホッとしている。これについてはまた実際に着任した秋以降に書くことにしたい。

*外国にいるとオンライン内見さえさせてもらえない物件がほとんどで、帰国してから探すしかなかった。「前住所」が日本である必要がある物件など、日本国籍を保有して、日本に保証人がいても、外国からの引っ越しでアパートを探すのは意外と大変だった。

2023年2月24日金曜日

博士論文の口頭試問合格

博士論文の口頭試問(オーラルディフェンス)に合格し、博士号取得のための要件を全て満たしたのでここに報告しておく。

前回の投稿では1月31日(火)に口頭試問(オーラルディフェンス)の予定と書いたが、諸事情で1日早くなり、プロビデンスに1月29日(日)に飛んで、1月30日(月)の午前に 博士論文の口頭試問があった。

私の博論を審査する博論委員会(dissertation comittee)は主査(=指導教員)+副査3人の4人体制。ブラウン社会学部はいわゆる"closed defense"と呼ばれる方式を採用しており、口頭試問に博論委員以外が同席することは不可なので、私を含めた合計5人で、社会学部地下の小さなセミナールームで試問が実施された。審査は規定上は180分ということになっており、稀に180分かかる人もいるみたいなのだが、私の場合、審査開始の挨拶(5分)、委員同士の事前審議(私は退席)(10分)、私の口頭発表(15分)、質疑応答(1時間)、委員同士の事後審議(私は退席)(5分)の90分強で終了した。ちなみに、私の発表が15分と短いのは、12月には博論原稿の全てを博論委員の先生方に送ってあり、全て読んでいるという前提があるためである。

結果は「修正要求なしの合格」(pass without revisions)で、嬉しかった。質疑応答は厳しい質問を予想して準備していったのだが、質問攻めというよりは、今後、博論を投稿論文としていくためのsuggestionという形のものが多かった。

口頭試問に合格後、3日間、かなり入念にミスがないかチェックをして、博論を提出し、2月15付で正式に博士号取得のための全要件を「修了」したという通知をもらった。正式な学位発行は5月28日の学位授与式である。

この後についてはまた機会のある時に書きたいと思うが、3月に日本に戻ることになった。よって、今は必死に引っ越しの準備をしている。6年前、渡米した際にUSPSが荷物を全て紛失した教訓を生かして、今回はお金をかけてヤマトに頼むことにした。現在、部屋にはヤマトの箱が散乱している。

2022年12月27日火曜日

近況報告:口頭ディフェンス日程決定、ウィリアムズバーグ訪問

前回の更新からまたまたとても長い時間が経ってしまった。博士論文はほぼ完成し、現在は体裁等を整えると共に、1月31日午前の口頭審査(いわゆるオーラルディフェンス)の準備をしている。審査員は主査の指導教員含めて4人で、形式上3時間ある。こればかりは対面なので、DCからプロビデンスまで飛ぶ予定である。吹雪での飛行機の遅延等の可能性を考えると、1月29日にはプロビデンス入りを考えた方が良いのかもしれない。

昨日までのクリスマス休暇は息抜きにコロニアルウィリアムズバーグ(バージニア州ウィリアムズバーグ)で過ごした。地区全体が植民地時代を再現する生きた博物館になっていてとても刺激的な良い経験だった。昔から行きたかった場所だったので今回行けて本当によかった。

ちなみに、ウィリアムズバーグはワシントンDCからは南に180kmほどで、高速バスで向かったのだが、DCの駅で運転手が見つからずに高速バスの出発が5時間遅れた上に、途中のバス停(リッチモンド)でその運転手もいなくなってしまい、交代運転手も現れず、乗客全員がバスごと夜のリッチモンドに取り残されるというハプニングも良い思い出になった。バス停にいたバス会社の係員は「会社の本部に連絡が取れないし、自分に返金する権限もない。俺のせいではない」(意訳)という態度で何もしてくれなかった。こういうことに特に動揺しなくなったのも、5年間でアメリカの経験値が高まった証だと思う。仕方なくUberに課金をすることで問題を解決をし、現在はバスのチケットの返金を請求中である。

なお、毎年、面白かった社会学論文のまとめ(例:2021年)を書いてきたが、今年はそれより自分の博論をできるだけ仕上げること(校正)に時間を使った方が良さそうなので、スキップすることにする。